静かな礼拝


 感染力が強いとされるコロナのデルタ株の流行を受けて、現在、教会では夕拝、水曜集会、婦人集会をお休みにしています。朝の礼拝は、今まで通り、マスク着用、換気、消毒、間隔をあけての着席等の感染対策を行いつつ、聖日第一礼拝(午前9時30分)と聖日第二礼拝(午前11時)に分けて継続しています。

 さらに会衆賛美は奏楽に合わせて、発声せずに心の中で賛美するようにしています。ですから本当に「静かな礼拝」です。しかし聖歌集を開いて声を出さずに賛美していると、かえって歌詞の意味内容が心に入って来て、心から賛美できている自分を見いだします。何か今まで神を賛美しているというよりも、意味も深く考えずにただ歌っているだけであったり、ストレスの発散の場になっていたのではないかと思わされました。当たり前のことかもしれませんが、発声しなくても、神を賛美することはできるのですね。

 コロナ禍で礼拝や交わりの様々な行事がなくなることは、もちろん本当に残念なことです。しかしその中で主は、真の礼拝、真の賛美、真の交わりとは何かを、私たちに教えて下さっているように思います。

主はいつも私たちに真実を尽くされます。そして主は私たちに真実を求められます。

「まことに私が供えても 
 あなたはいけにえを喜ばれず
 全焼のささげ物を望まれません。
 神へのいけにえは
 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。
 神よ あなたはそれを蔑まれません。」
(詩篇51篇1‐17節)

今日はさわやかなお天気