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会堂での礼拝が再開されました!

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 私たちの教会では、新型コロナウィルス感染の拡大を受けて、3月から、水曜集会と木曜日の婦人の集いを休止しました。 さらに三密を避けるため、3月 15 日(日)から、日曜学校成人部を休止し、朝拝を第一礼拝(午前9時 30 分)と第二礼拝(午前 11 時)に分けました。 そして緊急事態宣言が出されたので、4月 12 日(日)から5月 24 日(日)まで会堂での礼拝を休止し、音源を送って自宅での礼拝に変更しました。これが思いを超えて豊かに用いられ、平常の礼拝出席よりも多くの方々が礼拝に参加して下さいました。    そして今日5月 31 日(日)から、朝拝だけですが、二部礼拝制で聖日礼拝が再開されました。マスク姿で距離を保ちつつですが、皆さんは久しぶりの再会に、喜びが満ちて話も弾みました。  6月 14 日(日)から夕拝(午後4時)も再開される予定です。朝拝が二部に分かれているため、会えない兄姉に夕拝で会えることもあり、夕拝の再開を待ち望んでいる兄姉が多くおられます。 一つに集まって主を礼拝できること自体が、どれほどの宝であるかを改めて感じさせられました。 「見よ。なんという幸せ    なんという楽しさだろう。   兄弟たちが一つになって    ともに生きることは。」   詩篇 133 篇1節           写真は花壇のタイムが満開だった、五月中旬に撮影したものです。

お客さま

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  コロナウイルス感染拡大の影響で、教会の礼拝は音声を使って各自が自宅で行っています。日曜日の11時に、賛美しメッセージを聞く礼拝の時は、場所は離れていても心が繋がって、一つの教会である絆を感じる幸いなひとときです。 ご希望の方には礼拝の音声やCDをお送りしていますので、ご連絡ください。  緊急事態宣言中なので、尋ねてくる人もなく静かな会堂ですが、今日は珍しいお客さまがありました。部屋を見て回って、託児の部屋でしばらくお寛ぎ。  お客さまとは燕。楽しそうに飛び回り、羽繕いなどしながら、全開にした窓から出るでもなく、30分ほどゆっくりしていました。 聖書の言葉を思い出しました。 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。…あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。マタイの福音書6章26,31,32節  先の見えない中ですが、すべての必要をご存じの天の父なる神様のことを、伸び伸びと飛び回る燕を見ながら考えました。  1日も早い終息と、コロナ感染で苦しまれている方々、抑制のため働かれるすべての方々のためにお祈りいたします。

クリスマス

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12月19日(木)のレディースクリスマスと22日(日)のクリスマス礼拝と祝会には、多くの方々が集われました。様々な賛美が神に献げられ、聖書から主のご降誕のメッセージを聞きました。また礼拝後の祝会には、たくさんのご馳走が持ち寄られて、豪華で美味しい食事会となりました。盛り上がったゲームやプレゼント交換などもあり、心あたたまる楽しい時を過ごしました。

聖書講演会

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年に二回ほど行っている、聖書講演会。信者以外の方も多く集われる集会です。 今回は「人を生かす聖書の言葉」というテーマのもと、福島県の白河バプテスト教会牧師脇舛一樹先生がわかりやすく聖書からお話してくださいました。多くの方々が感銘を受けて帰られました。先生のご奉仕に感謝いたします。

婦人会 須磨水族園へ

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10月の婦人会は、教会で礼拝後に海鮮レストランでお食事、野菜などのお買い物をして、須磨水族園に向かいました。子供が小さいときに来たとか、〇年ぶりなど話も弾み、童心に返って観覧し、充実した一日を過ごしました。

自分の日を数える

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9月15日は、敬老感謝礼拝でした。当教会には、年配の方々も多くおられますが、皆さん明るく生き生きとされています。礼拝では、牧師が「自分の日を数える」と題して、老いることと、いつか来るであろう自分の死に備えて生きるようにとのメッセージを語りました。問題から目をそらさず直視しつつ、なすべき備えをして、神様から与えられた一日一日を大切にして歩んで行きたいと思わされました。 「どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに 知恵の心を得させてください。」(詩篇90篇12節)

礼拝では何をしますか? その3

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礼拝には献金のための時間があり、献金かごが回ってきます。 初めて礼拝に出席される方からよく尋ねられるのは、献金はいくらするべきなのでしょうか?という質問です。 献金は神様を信じた信者が、日々の神様の養いやお守りに感謝してするものですので、まだ信仰をお持ちでない方や献金の意味がお分かりにならない方は、かごが回ってきても入れずにお隣の方に渡していただいて結構です。 また私たちの教会では献金は一切無記名で行っていますので、教会員でも誰がいつ、いくら献金しているかは全くわかりません。たくさん捧げても誰からもお礼を言われません。神様だけを意識して、神様にお献げする、それが私たちの献金に対する考え方です。 その献金で、今まで会堂や納骨堂を建設し、送迎バスを購入し、 様々な行事の諸経費を賄い、 ちらしや印刷物を作り、牧師の生活を支えています。今まで足りなかったり、困ることはありませんでした。神様が全ての必要を満たして下さるのです。 また神様は捧げるひとりひとりのことをよくご存じです。 「イエスは目を上げて、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れているのを見ておられた。そして、ある貧しいやもめがそこにレプタ銅貨を二枚投げ入れるのを見て、こう言われた。「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、だれよりも多くを投げ入れました。あの人たちはみな、あり余る中から献金として投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っていた生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」                       (ルカの福音書21章1~4節) 説明を追加 写真は5月の聖書講演会の様子です。表博之先生(西舞子バプテスト教会牧師)が聖書からお話をしてくださいました。笑いと涙のある感動的な講演でした。